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越谷簡易裁判所 昭和35年(ト)12号 判決

債権者 田中庄栄

債務者 田村辰五郎

主文

債権者の本件申請を却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

事実

債権者代理人は、「債務者の別紙目録記載の土地に対する占有を解いて債権者の委任する執行吏にその保管を命ずる。債務者は、右地上に有する建築工事材料を取りかたづけ一切の建築工事を中止して続行してはならない。債務者は、右地上別紙図面記載の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の点を結ぶ線上に設置したコンクリート万年塀(長さ七間三尺、高さ六尺)を本命令送達後一週間以内に取除かなけれはならない。執行吏は債務者が右期間内に除去しなかつたときは、債権者の申出により債務者の費用で取除くことができる。債務者は、右土地に対する占有を他に移転しまたは占有名義を変更してはならない。執行吏は、右命令の趣旨を公示するため適当の方法をとることができる。」旨の仮処分命令を求め、その理由として、

債権者は、昭和一六年別紙目録(一)記載の土地(以下本件土地と略称する)を当時の所有申請外切敷平八から普通建物所有の目的をもつて賃借し、その地上に別紙目録(ニ)記載の(イ)(ロ)の建物(以下本件建物または本件(イ)(ロ)の建物と略称)するを新築して綿布漂白業を経営していた。その後、右土地の所有者は、申請外金井恵十郎となり賃貸人の承継があつたので、同一七年四月一三日同人との間に、同年二月一五日から同三七年二月一五日までの満二〇年間、当時賃料月額二四円、毎月末日払の約で賃貸借契約を締結した。その後、昭和一九年三月さらに右土地の所有権が申請外久田喜敏に移転され、同人が、その賃貸人の地位を承継することとなつた。ところが、本件土地の隣地居住者である同申請外久田喜敏は、自己の敷地を拡張するため同二七年八月頃、債権者の賃借土地のうち約一二坪五合を不法に侵奪するのみか、当時の約定賃料が坪当り一円であつたのを、一方的に坪二円に値上すると通知してきたので、債権者は、右値上には応じられない旨及び不法侵奪の一二坪五合を返還されれば若干の値上には応じてもよい旨の回答をしたが、同人は右不法侵奪地の返還をなさないのみか、従前の約定賃料(坪一円の割合による)を受取らなかつた。しかも、右久田喜敏は、昭和二八年七月二八日付書面をもつて昭和二二年度、同二三年度の賃料として坪一円の割合で一六〇坪分として計金三、八四〇円同二四年度分以降同二七年度分の賃料として坪二円の割合で一六〇坪分として計金一五、三六〇円、同二八年一月から同年六月までの坪三円の割合で一六〇坪分として計金二、八八〇円、合計金二二、〇八〇円の賃料を、同年八月四日までに支払え、もし、その支払がないときは、本件賃貸借契約を解除する旨の条件付賃貸借契約解除の意思表示がなされた。しかし、右賃料支払催告ならびに賃貸借契約の解除は無効である。その理由は、債権者は昭和二七年度は同年八月分までは賃料を滞納しておらないし、同二七年九月から同二八年六月までの賃料は、約定の坪一円の割合で賃借土地一四七、五坪分として合計金一、四七五円に過ぎない。しかるに、前述のように、昭和二四年から同二七年の過去に遡つて一方的に賃料を二倍に、同二八年にはその三倍にというように、不当に増額請求したり、或は同二七年八月分までの分を二重に請求する等いわゆる無効な過大催告をしてきたからである、また、当時債権者において適正と思われる前記賃料を賃貸人方に提供したとしても、その受領を拒むこと明らかな状況にあつたので、その提供をしなかつたが、それだからといつて信義則に反する債務不履行にはならないといえるから、適法なる解除の効果が発生していないといえるからである。従つて、債権者は、右久田の催告ならびに契約解除の意思表示にかかわらず、正当なる賃借人としての地位を失うものではない。その後も賃貸人は適正なる賃料の提供を受領しないこと明白であつたので、昭和三五年九月一三日、昭和二七年九月分より同三五年八月分までの賃料として合計金二三、〇四〇円(但し一ケ月二四〇円の割合)を弁済供託し、今日に至つている。このように、債権者は本件土地について賃借権を有するものであるところ、右久田は本件土地を債務者に売買またはその予約をしたらしく、債務者は不法にも昭和三五年九月一〇日頃から本件、債権者賃借土地に建物を建築せんとして、債権者の異議を無視して強引に別紙図面記載の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の点を結ぶ線上にコンクリート万年塀(長さ七間三尺、高さ六尺)を設けたり、土盛をし、土台石、コンクリート材料その他の建築工事材料を搬入して、まさに建物を築造し、もつて本件土地を不法に占有しまた占有せんとしている。よつて、債権者は債務者に本案訴訟を提起せんとしているが勝訴判決を得ても今にして申請の趣旨のような仮処分命令を得なければ現状の変更に因り債権者の権利の実行をすることができず、また、これをなすに著しい困難を生ずる恐れがあるので、その執行保全のため本申請に及ぶ。なお、債務者主張事実中、その主張のように、その日時において、本件建物につき通謀虚偽表示によりその所有権者名義を申請外馬場巳之助にしていたこと、本件建物に申請外日興信用金庫のため抵当権仮登記及び本登記がなされていたこと、抵当権実行のための競売申立及びその記入登記があり競落許可決定による申請外日興信用金庫への所有権移転登記がなされ同申請外金庫より更に債務者への所有権移転登記がなされていること、本件建物に対する仮処分、本件土地につき債務者のため所有権移転請求権保全の仮登記及び本登記がなされていることは、いずれも認めるが、実体法上は、何れも無効である。なお、右競落許可決定に対し何等の異議を申立てずそのまま確定せしめるに至つたのは、当時所有権者名義が申請外馬場巳之助にあつたためこれを知らなかつたものであると述べ、

疏明として、疏甲第一ないし第九号証を提出し申請人本人の訊問を求め、疏乙号証中同第三号証、同第四号証、同第五号証の一、二、同第八号証、同第一四号証、同第一六号証の成立は不知、その余の号証の成立を認めると述べた。

債務者は主文同旨の命令を求め、その答弁として、

債権者主張事実中、本件土地の所有者にして、かつ、賃貸人が申請外切敷平八から同金井恵十郎、久田喜敏となつたこと、申請外切敷平八及び同金井恵十郎との間に、その主張のような賃貸借契約がなされ、本件地上に、債権者所有の本件建物があつたこと、申請外久田喜敏が、その主張のような催告ならびに条件付契約解除の意思表示をしたこと、債務者が、本件土地につき昭和三五年六月二一日その所有者久田喜蔵より買受け所有権を取得したこと(但し昭和三五年六月二九日付売買予約を登記原因として同年七月一八日所轄登記所受付第二八二四号をもつて所有権移転請求権保全の仮登記を、同年一二月一二日受付第五一三二号をもつて本登記を了した。)債務者が、その主張のようなコンクリート万年塀を構築し、その他本件土地内に建物を建築せんとして、その主張のように本件土地の占有をしていることは認める。その余の事実は否認する。本件土地に対する申請外久田喜敏のなした催告ならびに契約解除の意思表示は、当時催告内容どおりの債務不履行があり、かつ、適法なる賃料増額請求権の行使をしたもので、決して過大催告でもなければ、無効なる契約解除の意思表示でもない、従つて、昭和二八年八月四日限り債権者主張の賃借権は、適法なる解除により消滅しているもので、爾来の占有は、むしろ債権者こそ不法占有者である。仮りに、右催告ならびに契約解除が無効であるとしても、債権者の賃借権は、後記のように、本件建物の競落により申請外日興信用金庫に所有権移転当時、既に消滅しているものである。その理由は、本件土地上に、債権者は本件建物を所有していたのであるが、該建物につき昭和二八年七月二四日付登記をもつて申請外馬場巳之助と通謀虚偽表示によりその所有権を同申請外人に移転しておいたところ、同申請外人は、善意の第三者である申請外日興信用金庫のために、昭和二八年七月三一日設定、債権額金二〇〇万円、利息年一割、弁済期昭和二九年二月一一日等なる第一番抵当権を設定したため、右日興信用金庫は、昭和二九年三月三一日所轄登記所受付第六一三号をもつて、浦和地方裁判所越谷支部の仮登記仮処分決定によりその旨の仮登記を、同三〇年一二月一六日同受付第二二六八号受付をもつて本登記をし、次で昭和三二年八月抵当権実行のため競売を申立て同年同月三日付競売手続開始決定(同年八月一四日その旨記入登記)により競売に付し、同三三年五月二日付競落許可決定により右債権者日興信用金庫に所有権が移転され、同年六月三日その旨登記された。ところが、同申請外日興信用金庫は更に申請外川口菊松に売渡し、同人は昭和三五年九月一二日債務者に売渡し、債務者は右中間を省略して右日興信用金庫より同日受付第三七一九号をもつてその所有権の取得登記し、現に占有中である。このように、抵当権実行としての競落による所有権移転の場合には、該建物のため、その敷地について有する本件賃借権も建物の所有権と共に競落人である新所有者に当然に移転するものであつて、該建物の所有者であつた債権者の本件賃借権はそのときにおいて失つているものであるからである。従つて、債権者は、本件土地についての何等の占有権限すら有しないものである。なお、右建物については、昭和三五年三月頃申請外日興信用金庫が間接占有し申請外美原運輸株式会社及び野口林蔵が直接占有をし、本件土地を不法占有していたので同年三月一四日当時の本件土地所有者であつた申請外久田喜敏は、同申請外人等に対し越谷簡易裁判所に仮処分申請をなし、翌一五日、「右美原運輸株式会社及び野口林蔵の各占有を解いて右久田喜敏の委任する執行吏にその保管を命ずる、執行吏は現状を変更しないことを条件に同申請外人等に使用を許し、その場合は、その保管に係ることを適当な方法で公示すべく、右申請外人等は占有を他人に移転し又は占有名義を変更をしてはならない、右日興信用金庫は本件建物の処分をしてはならない」旨の仮処分がなされたのである。その後、本件土地の所有権をも取得し、かつ同年九月一二日には、右本件建物の所有権をも取得した債務者において、執行吏の了解を得て右久田よりその占有権の移転を受け、爾来本件建物及びその敷地である本件土地を適法に占有中である。されば、債権者は、本件土地についても占有権を有しないものである。また、債務者は、前述のように、本件土地上に建物を新築し、または既に所有せる本件建物等の増築工事をして本件土地を占有をしているのは、平穏無事裡に当然の権利としてなしているもので債権者の占有を不法に侵奪したものではない。次に、本件債権者の主張する仮処分の必要性についても存しない。それは、前述のように、債務者は、本件土地の所有者であり、また、その地上の本件建物の所有者でもあるに反し、債権者は本件土地の賃借権を有しない者であるから、本案訴訟である占有回収の訴はその基礎たる本権を有しないので敗訴することは必定であり、保全の必要はないばかりでなく、その主張のコンクリート万年塀は、万一勝訴判決を得れば、そのとき除却をすれば足り、本件土地の占有を建築工事を中止させてまで執行吏に移転させねばならない程の必要性はない。むしろ、本件仮処分をなされることによつて、債務者が本件土地の隣地約一〇〇〇坪にもつりざお製造の一貫工場を新設し、これと併せて操業せんことを近日に控えており、かつ、本件地上の建築も完成をみているので、債務者の蒙る損害こそ、債権者より遙かに甚大なものであつて、まさに、債権者の申請こそは権利の濫用にあたる。よつて、本件仮処分申請の却下を求めると述べ、

疏乙第一号証の一、二、同第二ないし四号証、同第五号証の一、二、同第六号証、同第七号証の一、二、同第八ないし第一七号証、同第一八号証の一ないし三五、同第一九号証を提出し疏甲第四号の成立は不知、その余の疏甲各証の成立を認めた。

理由

先づ、債権者主張の被保全権利の有無について判断を示すこととする。もし、それがないと一応認められるならば、被保全利益の有無その他債務者の抗弁についての判断を必要としないからである。その前者については、第一に債権者主張の本件土地に対する賃借権の有無と第二に債権者主張のいわゆる占有訴権の有無について判断する。

本来、右第一は本権に、第二は占有訴権に関するもので、民法第二〇二条第二項の規定の趣旨に従い、本件仮処分申請が第二の占有の訴を本案とするときは、本権である第一による当否の判断をすべきものでないが、本件仮処分申請においては当事者の主張、抗争の態様、弁論の全趣旨から考察するときは右二つを同時、選択的に本案たる被保全権利として主張しているように認められるし、このこと自体は、差支えないと思われるので、そのようにすることとする。ただ、右第一の本権に関する当否の理由だけで直ちに第二の占有訴権に関する当否を判定することは許されないが、第二の占有が本権を伴う占有であるか、どうかなど占有の種類、態様等の判断においては、たとえ第二の占有訴権のみを本件仮処分申請の本案訴訟物としているときであつてもその限度において右第一と第二の判断を関連せしめて判断しても差支えないといわなければならない。この意味においても、以下のように、第一と第二に分つて説示するとともに、第二の占有訴権の有無の判断において第一の賃借権の有無の判断を援用する。

第一、債権者の本件土地に対する賃借権の有無

本件土地の所有権者が申請外切敷平八から同金井恵十郎、同久田喜敏に移転したこと、本件土地につき昭和三五年六月二九日売買予約を登記原因として同年七月一八日所轄登記所受付第二八二四号をもつて債務者より所有者久田喜敏に対する所有権移転登記請求権保全の仮登記がなされ次で同年一二月一二日同受付第五一三二号をもつて本登記がなされていることは当事者間に争がない。よつて、本件土地の所有権者は右登記のなされている事実や疏第八号証(同号証は第三者久田喜敏の関与により作成されているので、その成立を認める)によれば、昭和三五年六月二一日売買により債務者がその所有権者となつたものと一応認めるに十分である。

ところで、本件土地につき、債権者が本件建物所有の目的をもつて、当初、その主張のような賃借権を有していたことも当事者間に争がない。債権者は、その賃借権が、当時の賃貸人久田喜敏のなしたその主張の催告ならびに条件付契約解除の意思表示が無効であるから、今なお有効に存続していると主張するに対し、債務者は、(一)右催告ならびに契約解除の意思表示は有効であつて適法に解除されたものであり、当時既に債権者において賃借権を有しない。(二)仮りに右が無効としても、その後前に主張のように、本件建物が抵当権実行のための昭和三三年五月二日付競落許可決定により第三者である申請外日興信用金庫に所有権が移転されているので、当時本件土地に対する賃借権をも失つていると抗争する。

よつて、その点について判断することとするが、要は債権者主張の賃借権の有無にかかり、債務者主張の右(一)から判断しようと(二)から判断しようと差支えないと思われるので、(二)の点から以下に判断を示すこととする。

およそ、土地を賃借して該地上に建物を所有し、後、該建物につき抵当権を設定したときは、抵当権設定の当事者間においては、特別の事情のない限り、該建物に従たる敷地の賃借権をも同時に抵当権の効力に服せしめる趣旨と解さなければならない。それは、敷地の賃借権が有効に存することによつて始めて該地上の建物も一体的な担保価値を有するものであつて、従たる権利である右賃借権を除外しては、該建物は、一塊の木材、瓦礫等の集積物に等しく特別の事情のない限り、かかる木材、瓦礫等の集積物化した建物を担保に抵当権を設定することはあり得ず、右敷地の賃借権とともに担保に供したものと考えられるからである。この建物と敷地の賃借権との経済的一体性は、まさに主物、従物の関係にあつて、主物に対する抵当権の効力は、当時の従物に当然に及ばしめるのと軌を同じくするものである。従つて、抵当権の実行により該建物が競落せられたときは、特別の事由がない限りは、建物所有権とともにその敷地の賃借権をも競落人に移転するものと解さなければならない。ただ、その際、土地所有者である賃貸人との関係においては、賃借権の譲渡又は転貸は民法第六一二条第一項の規定により賃貸人の承諾を得ずしては、これをもつて賃貸人に対抗し得ないと解さざるを得ない結果、右競落人の取得した敷地に対する賃借権をもつて土地の賃貸人に対抗することを得ないといわなければならない。

そこで、本件の場合を考えるに、当事者間に争ない既述(事実摘示参照)の事実に疏甲第二号証同第七ないし第九号証、疏乙第一二、一三号証、同第一五号証(いずれも成立に争ない)を綜合すれば、次のような事実が一応認められる。

本件建物は、昭和二八年七月二四日別紙目録記載(二)の同番の二、一、木造亜鉛葺二階家建漂白場一棟、建坪二一三坪外二階一〇八坪(主たる建物)の附属建物として表示され、同日申請外馬場巳之助のため所有権が登記されている。そして、昭和二九年三月三一日受付第六一三号をもつて申請外日興信用金庫のため、同年三月二六日浦和地方裁判所越谷支部の抵当権設定仮登記仮処分決定により昭和二八年七月三一日設定の債権額二〇〇万円、利息年一割、弁済期昭和二九年二月一一日、弁済期後は日歩六銭の割合による損害金を支払う約の一番抵当権の仮登記が登記されている。その後、債権者は、右建物が自己の所有であるのに、通謀虚偽表示により右馬場巳之助の所有名義にしていたに過ぎないとして、本件建物が債権者の所有に属することの確認及び右所有権保存登記の抹消登記手続を求める旨の訴訟を右馬場巳之助に対し提起し、その予告登記が、昭和二九年九月一三日なされている。そして、該訴訟において右馬場巳之助は通謀虚偽表示でないと抗争したが、結局第一審判決において、「昭和二七年七月頃債権者と右馬場巳之助と謀り本件宅地上に存する債権者所有の本件建物を債権者が現物出資し、同所において両名共同して新に会社を設立し共同事業を営むことを計画し、右馬場において本件土地の外その隣接地を申請外関喜市より買受けることとして、その一部事業を開始し、昭和二八年七月頃その買受代金の支払を了してその登記手続を終えたが、当時申請外日興信用金庫から多額の右事業資金を借り受けるため、右土地及び債権者所有の本件建物を含めてその地上の建物を担保として提供する必要があつたので、債権者にその所有建物を形式上右馬場の所有名義にされたい旨懇請し、債権者も将来共同事業のため新全社に現物出資する予定のものであつたので、これを諒承し、昭和二八年七月二四日売買契約を仮装し、その所有権が右馬場にある旨の登記手続をしたもの」と認定せられて「本件建物については債権者の所有権が確認せられ、右馬場は本件建物については分筆の上その保存登記の抹消登記手続をせよ」との判決が、昭和三〇年一〇月一三月終結した口頭弁論によつて同年一一月二五日言渡され、同判決正本は、同年一二月六日作成の上その頃送達されている。そして、右判決に対しては、右馬場より控訴がなされたが、第二審判決は、控訴棄却を言渡し、該判決正本は昭和三二年六月五日作成せられ、その頃当事者に送達せられ同年七月一七日確定している。その係争期間中であり、右第一審判決言渡後である昭和三〇年一二月一六日に、本件建物に対する抵当権設定の仮登記が本登記にされ、右判決確定後である昭和三二年八月一四日に右抵当権実行のための競売記入登記がなされ、昭和三三年五月二日付競落許可決定により同年六月三日受付第一二七五号をもつて競落人日興信用金庫のため所有権移転が登記されている。そして、更に後の昭和三三年一一月二九日に始めて、本件建物を前記主たる建物から分筆して独立の一筆となし、次で昭和三五年九月一二日受付第三七一九号をもつて債務者のため所有権移転登記がなされている。

そこで、右事実から更に次の事実が一応推認できる。

その一は、右各登記に表示されているとおりの抵当権設定、その実行のための競売申立、その競落による所有権の移転が、いずれも実体法的にも有効になされていると一応認めざるを得ない(債権者は、右各登記の存在することは認めるが、実体法には無効であると主張するも、その具体的主張ならびに疏明のない以上、その登記どおりに、実体法的にも有効なものと一応認めざるを得ない。)

その二は、申請外日興信用金庫が前記抵当権を設定した当時は、本件建物の所有権者は真実右馬場巳之助であると信じ、同人のために前記表示の抵当権を設定したものであること、すなわち同日興信用金庫は、前記債権者と右馬場巳之助間の本件建物についての通謀虚偽表示による所有権移転及びその登記については善意であつた。このことは、殊に、前記第一審判決中の認定事実からも、また、その後債権者から右抵当権設定が、いわゆる悪意によりてなされた無効なものであるとの理由により抗争した事実が全疏明中どこにも見当らないことからも十分に推認できる。

その三は、債権者は、申請外馬場巳之助が右日興信用金庫のため前記抵当権を設定したことは、当時知つていた。また、前記訴訟当時において前記抵当権の仮登記がなされていることも知つていた。従つて、右仮登記が本登記にされ、更に右抵当権実行のため競売が申立てられ、その競落に至るべきことは、当然予測し、または予測し得られた。

その四は、債権者において、前記確定判決後直ちに本件建物を登記簿上においても自己所有名義に改めて置けば、登記簿上の利害関係人として、前記抵当権の推移は容易に知り得るし、少くとも抵当権実行を阻止うる方策は十二分に講じ得られたのに、漫然何等の手段方法を講ぜず、前記競落に至らしめている。

さて以上のように一応認められるものの、債権者が本件建物所有のため本件土地について有していた本件賃借権は、前記馬場巳之助に、通謀虚偽表示により本件建物の所有権を移転した当時、(イ)併せて同時に、通謀虚偽表示にせよ同人に譲渡または転貸したのか、或は(ロ)全然同人に譲渡または転貸していないのか-すなわち、本件建物の所有権名義のみを通謀虚偽表示により右馬場巳之助にしただけで本件建物を依然自己が使用収益し、その占有を続け本件土地の賃借権を保有していたのか-は、全疏明によるも全く不明である。

そこで、本件土地の賃借権の有無については、右(イ)(ロ)の場合に分つて考えざるを得ないのであるが、その前に前記抵当権実行による競落の効果について考察しておかねばならない。ところで、前記認定のその二の事実が一応認められる以上、債権者は前記日興信用金庫に対しては、同人が善意の第三者であるから、本件建物の所有権は申請外馬場巳之助に移転していないと主張することは勿論、右申請外馬場巳之助が自己の所有に属しない、債権者所有の本件建物に抵当権を設定したもので無効であると主張するもできないことは、民法第九四条第二項の規定により明白である。従つて、債権者としては、右馬場巳之助が本件建物を自己所有物件として有効に右日興信用金庫のために抵当権を設定し、前記のとおり有効に競売ならびに競落がなされ、有効に競落人としての同日興信用金庫に本件建物の所有権が移転したものとして認めざるを得ないこととなる(善意の第三者である右日興信用金庫が自ら進んで右抵当権の無効を認めているとは前記経過からみても到底考えられないし、その疏明もない。)

さて、本件土地の賃借権の帰趨であるが、前記(イ)の場合、すなわち、債権者と前記馬場巳之助との間において、本件建物の所有権移転当時、併せて同時に本件土地の賃借権をも通謀虚偽表示によつて明示または黙示的に右馬場巳之助に譲渡または転貸していた場合には、どうであろうか。この場合、その移転については、前同様、民法第九四条第二項の規定によつて善意の第三者である右日興信用金庫に対抗し得ないので、まさに、右馬場巳之助が、本件土地につき賃借権を有し、その地上にある自己所有建物につき、従たる本件土地の賃借権とともに前記抵当権を設定した場合と同じ結果となる。従つて、その抵当権の実行により競落せられ、競落人に本件建物の所有権が移転したときは、先に説示したとおり特別の事情のない限り(本件においては、これを認める疏明はない。)本件建物の所有権が競落人である右日興信用金庫に移転したとき、同時に本件土地賃借権も同競落人に移転したことになる。従つてそのときにおいて、債権者は本件土地に対する賃借権をも、同時に失うことになり債権者においては、これを否定することを得ない結果となる。

もし、仮りに前記(ロ)の場合、すなわち、債権者と前記馬場巳之助との間に本件建物のみの所有権を通謀虚偽によつて移転したに止まり、本件土地の賃借権は依然として債権者が保有していた場合には、どうであろうか。このときは、前記抵当権の実行による競落があつても、それは建物だけの所有権が移転するに止まり、本件土地の賃借権は移転しないように考えられるかも知れない。しかし、結論的にいえば、本件の場合には、前同様本件土地の賃借権をも右競落と同時に競落人日興信用金庫に移転するものと認めるのが相当である。それは、次のように考えられるからである。

すなわち、債権者には、前記認定のその三及びその四の事実がある。再言すれば、債権者は本件建物の所有権名義を申請外馬場巳之助に通謀虚偽表示に移転した当時においても、その後、右が通謀虚偽表示による無効なものであるとして右馬場巳之助に対し本件建物の所有権確認、保存登記抹消等の訴訟を提起した当時においても、右馬場巳之助が本件建物を自己所有の建物であるとして善意の第三者である前記日興信用金庫のために抵当権を設定し、その仮登記までなしていること、従つて、当時当然に特別の事情のない限り(この特別の事情の存在は全疏明によるも認められない)本件賃借権をも右建物に従たる権利として抵当に供せられているということをも承知している。そして、右仮登記が本登記に、更に抵当権実行による競落に至るべきことも、当然に予測し、または予測し得られたのに、漫然として拱手傍観し、右抵当権の実行のままに放置していた。いわば、自己所有の建物につき、第三者のため抵当権を設定し、その実行のままに甘じていたと同様の態度をとつていた事実がある。他方、申請外日興信用金庫は、当時、当然に右馬場巳之助において本件土地の賃借権をも有し、これについても抵当権の効力は及ぶものと信じ、その建物に抵当権を設定し、その実行に及んでおり、競落したときにおいても、抵当権の効力が有効に本件土地の賃借権にも及び、本件建物の所有権と同時に本件土地の賃借権をも移転するものと信じ、競落しているのである。抵当権実行の実施にあたつた執行裁判所においても、本件のような場合、本件建物の所有権者名義が依然として右馬場巳之助名義となつており、かつ、同名義の下に抵当権が設定せられている以上、本件土地についての賃借権のみが債権者にありとは到底知る由もなくまた、その必要もなく、通常の事例に従い本件建物については右馬場巳之助が本件賃借権を保有するものとの前提で競売を実施している。これを、競落人において信ずるのは無理からぬことである。このような状況下における場合、今もし、本件土地の賃借権は競落人に移転しないと解するとすれば著しく善意の第三者である抵当権者の保護に缺け、競落人に不利益を及ぼし、公の競売実施機関の信用を失墜せしめることとなる反面、不当に通謀虚偽表示者を保護することとなる。のみならず本件の場合もし、債権者が、前記確定判決にもとづき本件建物につき自己の所有権名義に登記簿を改めていたとしても、前記抵当権の無効を対抗し得ないので正に右抵当権つきの本件建物の移転を受けたと同じ結果となり、その抵当権実行に伴い該建物に従たる本件土地賃借権も同時に抵当権の効力に服し、前示説示の法理に準じ本件建物の競落による所有権移転と同時に本件土地賃借権も競落人に移転するものと解せざるを得ないのであるが、偶々債権者が本件建物の所有権名義を登記簿において改めなかつたという一事で、本件賃借権の移転を認めないという甚だ不当な結果をもたらすことになる。このような点を綜合すると、自己の賃借土地上にある自己所有の建物を通謀虚偽表示により他人名義に所有権を移転し、同人が善意の第三者のために抵当権を設定し、その実行に至るべきことを知り、または知り得べきに、何等の手段方法を講ぜずして抵当権を実行せしめた者はその抵当権の実行により建物の所有権が競落人に移転すると同時に自己の右賃借権をも移転するものと考えざるを得ないからである。

要するに、前記(イ)の場合であると、(ロ)の場合であるとを問わず、いずれにしても、債権者の本件土地に対する賃借権は、前記抵当権の実行による競落により本件建物の所有権移転と同時に競落人である申請外日興信用金庫に移転していることを、債権者としては否定できないといわなければならない。

もつとも、本件の場合、右日興信用金庫は競落時においては本件前記通謀虚偽表示については悪意の第三者であつたかも知れないが、前記抵当権設定当時において善意の第三者である以上、競落時における善意悪意は問うところではなく、また、抵当債権者が競落人になつてはならないことということがないこともいうまでもない。

右日興信用金庫が以上のように債権者との関係において本件土地の賃借権の移転を有効に得た以上、その特定承継人たる債務者においても同様であることは、これまた多くの説明を要しないであろう。その上、右賃借権の移転は賃貸人に対しては対抗し得ないことは前説示のとおりであるが、当時の賃貸人久田喜敏の地位は冒頭判示のように本件土地の所有権が債務者に移転されたことに伴い債務者に承継され、今や右賃貸人と賃借人の地位が同一人に帰属するに至つているので、債権者の本件土地に対する賃借権は、もはやあらゆる関係において完全に有しないと断ぜざるを得ないこととなる。

さすれば、先に債権者主張の、申請外久田喜敏のなした催告ならびに賃貸借契約解除の意思表示が有効か無効かの判断はするまでもなく、債権者は本件土地の賃借権は全く有しないと一応認めるの外ない。

第二、債権者主張の占有訴権の有無

先づ、債権者のなしていた占有状況については、債権者の弁論の全趣旨(債権者本人の供述中においての主張を含む)によれば、本件土地の占有を侵奪されたと主張する昭和三五年九月一〇日頃の占有状況は、債権者は、本件建物に申請外美原運輸株式会社、野口林蔵に居住または使用せしめて、その敷地及び同建物の使用に必要なる範囲を占有せしめていたものの、同人等を通じて間接に占有し、その余は自己において直接占有していたと主張するに対し、債務者は、これを否定し、殊に右美原運輸株式会社及び野口林蔵の占有については、当時の本件土地の所有者である申請外久田喜敏より右申請外人等及び当時の本件建物の所有者であつた申請外日興信用金庫に対し、昭和三五年三月一四日越谷簡易裁判所に仮処分の申請をなし、翌三月一五日「右直接占有者の各占有を解いて右久田喜敏の委任する浦和地方裁判所執行吏にその保管を命ずる。執行吏は、現状を変更しないことを条件として同人等にその占有部分の使用を許す。但し、この場合、その保管に係ることを公示するため、適当な公示方法を取るべく、右野口等は、占有を他人に移転し、又は占有名義を変更してはならない。右日興信用金庫は、その所有名義の右建物について譲渡質権抵当権賃借権の設定その他一切の処分をしてはならない」旨の仮処分を得て、その頃右仮処分の執行をなしたもので、右範囲においてその占有は右執行吏に移つていた。その後、債務者は、本件土地及び右建物を既述のように買受けたので、同年九月一二日頃には、執行吏と久田喜敏の了解を得て右占有権の移転をも受け、爾来債務者において本件土地全部直接占有をしていると抗争する。

よつて、右について判断するに、債権者本人の供述は、右債権者の主張に添う供述をして、その疏明あるかにみえるが、後記疏乙号証と照合すると、それを全面的に措信することができず、同供述中措信できる一部分と既述の争ない事実及び疏乙第三号証、同第四号証、同第五号証ノ一、二(いずれも第三者の関与によりて作成せられているので、その成立を認める)同第七号証の一(成立に争ない)同第八号証(第三者の関与により作成せられているので、その成立を認める)を綜合すれば、次の事実が認められるので、以下のように一応認めるのが相当である。

他にこれを左右しうる疏明はない。

すなわち、債務者主張の前記仮処分執行が昭和三五年五月一五日になされている事実(この点は当事者間に争がない)、本件土地については、債務者が当時の所有者久田喜敏より昭和三五年六月二一日付売買契約により他の物件をも含め代金五百万円をもつて買受け、内金三百万円は支払期日同年一〇月末日である約束手形一通をもつて現金の支払に代えて支払い、その所有権を取得したが、申請外日興信用金庫が本件土地を不法に占有していたので、右久田喜敏よりその地上の本件建物の収去とともに明渡しの訴訟を進めんとしていたため、売買予約の仮登記をしておくこととし、占有の引渡を同年六月二九日としている事実、そして、右売買の予約を登記原因とする仮登記は同年七月一八日受付第二八二四号をもつてなされている事実(この点当事者間に争がない)、右久田喜敏は、昭和三五年六月三〇日付訴状による訴を右日興信用金庫及び野口林蔵、美原運輸株式会社に対して提起し、右日興信用金庫に対しては、本件建物の収去及び本件土地の明渡ならびにその占有を開始した昭和三三年五月二日以降明渡ずみに至るまでの損害金の支払を、右野口林蔵に対しては本件(イ)の建物の中、正面に向つて左側三分の一、約一五坪及び本件(ロ)の建物よりの退去及びその敷地の明渡を、右美原運輸株式会社に対しては本件(イ)の建坪の中、正面向つて右側約三分の二、約三十二坪よりの退去及びその敷地の明渡を求めている事実、本件土地上の本件建物については、既述のように右日興信用金庫が昭和三三年五月二日付競落許可決定により所有権を取得したのであるが、昭和三五年九月一日付をもつて申請外川口菊松、(同川口菊松は右日興信用金庫より本件建物を買受けた者であると債務者が主張する者)と連名で書面をもつて、本件建物の売買代金三〇万円のうち一五万円を受取り、残金一五万円のうち五万円はその所有権移転登記と同時に内金一〇万円は本件(ロ)の建物に接着した部分に居住している申請外市川茂吉が移転したときに受領し、その市川の移転費用は右残金の範囲内で支払う旨を約し、同年九月三日右金五万円を受取つている事実、そして本件建物については同年九月一二日付登記により所有者日興信用金庫名義より債務者に所有権移転登記をするとともに、次で、右市川茂吉と債務者との間で、更に同年一〇月二一日付契約書によつて、同市川茂吉の使用部分(本件(ロ)の建物の一部約六坪)に対する使用貸借を同日限り合意解除し同年一一月三〇日限り明渡すこと、債務者が同年一〇月二二日より同人が占有していない部分の取毀に異議を述べないこと、右明渡すまで一時本件(イ)の建物に移ること等を約定して債務者より同人に八万円を支払つている事実、昭和三五年八月末頃には本件建物を一部、債務者において取毀している事実等が一応認められるので、これらの事実と債権者の一部措信できる供述とを綜合すると、昭和三五年九月初旬の本件土地に対する占有状況は、債権者は本件土地の南西隅に隣接する同所一一三五番にある債権者占有中の木造洋瓦葺平家建事務所及び居宅の表及び裏の出入口に出入するに必要な範囲で本件土地の一部を直接占有していたに止まり、その余の部分については、直接にも間接にも、社会観念占有と認められるに足る事実上の支配を及ぼしておらなかつた。むしろ、その余の部分については債務者の直接又は間接の占有に属していたことは勿論、右債権者の占有部分についても債務者が自己所有の土地として直接に占有していた。

ところで、債権者の右占有については、前記第一において説示したように、賃借権にもとづいてなしているのではなく、他にその占有を正当なる権限にもとづいてなしたとの何等の主張及び疏明がないので、右は、いわゆる不法占有と認めざるを得ないが、この占有部分につき、債務者が、債権者主張のように、その意思に反して、その南西隅に隣接する同所一一三五番地との境界線上に別紙図面記載のような(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の各点を結び線上にコンクリート万年塀(長さ七間三尺高さ六尺)を構築し、本件土地内の右債権者占有部分上にも建物を建築せんとして土台石、コンクリート材料、その他の建築材料を搬入したりなどして、同部分を債務者において占有し、債権者をして従前の占有を継続せしめていないこと、すなわち、右部分につき債権者の占有が排せられて債務者の行為によつて、その占有に移されていることは当事者間に争がない(債権者の意思に反してなされたとの点は、債務者の明らかに争わないので、自白したものとみなす。)。

もつとも、債務者は、自己の所有権にもとづき正当なる権利行使として、右占有の移転をしたものであると主張し、当裁判所も前述の各事実に照らし、そのように一応認めることとする。

さて、以上のように、正当なる本権(所有権)を有し、かつ自己においても占有していた債務者が、何等の正当なる権限なくして不法に占有している債権者に対し、その意思に反して自己の権利行使の結果として右のように単独占有に移した場合、不法占有である債権者が占有を侵奪されたものとして占有回収の訴権を行使することが許されるであろうか。一見するに、債権者に占有回収訴権を認めてもよいように思われる。しかし、些細に検討するときは、結論的にいえば、本件の場合には、それは否定されるのが至当と考えられる。本件の場合、論点は、一は、果して債務者に占有の侵奪ありといえるか、二は、債権者に占有回収訴権を認めて保護する必要があるかの二点に帰着すると思われる。

思うに、先づ民法第二〇〇条にいう「占有の侵奪」という行為についてであるが、凡そ旧占有者に、いわゆる占有訴権を与えるわけは、占有という社会観念上、一定の事実的支配状態があり、その存在によつて社会的平和及び秩序が平穏に形成せられている場合、その事実状態のあるべき状態のいかんを問わず、その事実状態そのものを尊重し、これにつき、濫りに私力をもつて破壊し、または破壊せんとしてその平和状態を撹乱するものがあるとき、法は、その侵害行為を許容することなく、もとの事実的支配状態の原状にあらしむべくその支配者(占有者)に対しその侵害の停止、予防、占有の返還を求めうる権利を与え、もつて、もとの事実的支配状態を保護せんとすることにある。従つて、同条にいう「占有の侵奪」といいうるためには、右事実的支配者の意思に反して、その支配状態によつて形成せられている既定の平和秩序を破壊するものとして非難するに値する反社会的違法行為でなければならない。これは、民法第二〇〇条に「侵奪」という表現をしておることや占有訴権を認めた法意からも明らかであろう。通常は、占有者の意思に反して、その占有を移転した場合は、特別の事情のない限り、その行為自体で、占有によつて既に形成せられている平和的社会秩序を撹乱する反社会的違法行為と目されるので、多くは占有回収訴権が認められる。しかし、それは、占有者の意思に反したという一点または、もとの占有状態を保護するというだけで占有回収訴権が認められるのではなく、その占有移転行為自体が反社会的違法性を帯有すると認められるからである。占有者の意思を尊重して占有回収訴権を認めるものでないことは、占有回収訴権を認めた法意からも容易に首肯できよう。また、本来、占有という事実的支配状態そのものを保護しようとする趣旨であるなら、旧占有者から新占有者に占有が移転した以上、新占有者の下における事実的支配状態も保護せねばならない筋合である。ただ、そのことを徹底せしめると右占有移転が反社会的違法な行為によつて行なわれた場合、その反社会的違法行為を是認するの結果となり、却つて社会の平和的秩序を乱し、占有訴権を認める制度本来の趣旨に反することとなるからこそ、旧占有者に占有回収訴権を認めるのである。このことは、甲の占有を違法に侵奪して取得した乙の占有を更に甲が違法に侵奪したとき、乙は占有回収訴権を行使できないとする判例学説(下級裁判所ではあるが、既に数個の判例がある。松江地方裁判所昭和二六年四月二七日判決、津地方裁判所昭和二九年七月二六日判決、東京地方裁判所昭和三三年八月五日判決、東京高等裁判所昭和三一年一〇月三〇日判決等参照。但し、大審院大正一三年五月二二日大審院民事判例集三巻二二九頁は直接に占有回収訴権を認めているか否か不明であるが肯定説のようにもみえる)も、その説明の理由こそ異なるが、甲の侵奪行為に反価値的違法性が結局において認め難いという意味において、その結論が是認できる。また、正当なる権利者は、自力をもつて現占有者の占有を奪還しなければ、後になつて公権力によつて正当なる権利を実現することが不可能か、または極めて困難になるというような切迫した事情の存する場合には自力救済行為として、その占有を奪還できるとする一般学説(通説)も、その占有移転行為に反価値的違法性が阻却されると解されるからである。

従つて、甲占有者の占有をその意思に反して乙者の占有に移したからといつても、その移転行為自体の反価値的違法性の深浅、甲占有によつて形成せられている平和的社会秩序破壊の程度、甲乙占有者の利害得失、その他諸般の事情を考慮に入れて、甲に占有回収の訴権を与えるべきか否かを容観的に判断されねばならない。であるから、もし、右移転行為にして反価値的違法性がないか、またあつても、その程度が極めて軽微であり、甲占有によつて形成せられている平和的社会秩序の破壊程度が至つて低く、甲が占有を失うことによつて蒙る損害が乙が占有を返還することによつて蒙る損害より遥かに少い等その他被奪取者にその奪取されたことを甘受せしめるのが相当と認められる事情等がある場合には、たとえ旧占有者の意思に反していても、右占有移転行為は、いまだ民法第二〇〇条にいう「侵奪」に該当しないと解さなければならない。わけても、甲の占有移転行為が、自己の正当なる権利行使の結果なされたものであるときは、それが自力救済を認められる要件に該当しない場合であつても、慎重に検討されねばならない。

次に、不法占有者が本権を有する占有取得者に対して占有回収訴権を認める必要性があるかの点であるが、これは、占有回収訴権と本権との関係において、深く再考されねばならない。およそ、本権を有しない、いわゆる不法占有者甲の占有を本権(たとえば所有権)を有する乙が、自己の本権行使の結果、甲の意思に反して甲の占有を自己に移転せしめる結果となつた場合その移転行為そのものが公序良俗に反するような反社会的違法行為によつてなされたときは別として、そうでない通常の手段方法によつて正当なる本権行使の範囲内においてなされたときでも、甲に占有回収の訴権(損害賠償請求は別)が認められるとすべきであろうか。もし、その場合でも、甲に占有回収訴権ありとして、甲の旧占有状態に回復せしめたとしようか。そのときでも依然として不法占有であることには変りがないから、乙は、本権にもとづきその不法占有の排除を求め得ることは明白である。すなわち、甲は占有訴権訴訟においては勝訴するも、本権訴訟においては敗訴することとなり、結局は甲の占有状態は法の保護を受け得られない結果となる、これは、占有訴権という特殊な制度を設けたことから、やむを得ない不都合な結果かも知れない。しかし、甲が占有訴訟を乙に対して提起してきたとき、乙は当該訴訟中では一般に本権の理由によつて抗争することを得ないとされているので、甲に対し本権に関する訴訟を反訴でもつて提起する場合のほか、別の訴訟として提起して甲の旧占有状態への回復を阻止ないし排除を求めなければならないということになる。甲乙両当事者間の、しかも、同一の占有状態に関して、矛盾する結果を認めるような訴訟をなさなければならないとは、訴訟経済の上からも、まことに驚くべき不経済さである。しかも、反訴提起による場合は別として、両訴訟の何れが先に判決されるかという、審理の都合、いわば偶然のことによつて、当事者の蒙る利害は著しく異なつてくる。最終的には、甲の占有は不法占有として保護されないこと明々白々であつても、なお、占有訴権を無条件的に与えて保護しなければならないものであろうか。甲の占有状態を占有制度の下で保護しようとするには、占有回復に代る損害賠償請求権等を与えることによつて一応の保護が達せられることもあるのではなかろうか。

従つて、不法占有者なるが故に、常に所有権その他の本権を有する者に対して占有回復の訴権を有しないと原則論的に断定するのではないが、不法占有といえどもその占有を回復せしめることそれ自体に、社会通念上是認せられる特別の利益を有し旧占有状態を特に保護する必要があると認められる特段の事由がある場合(たとえば、不法占有して家屋に居住していた者がその所有者によつて違法に占有を侵奪され、旅館住まいを余儀なくされており、兎も角占有回復によつて、もとの家屋に居住し得られなければ困るというように、占有が回復されること自体に、社会通念上是認される或種の利益を有する場合など)に限つて、占有訴権が認められると解すべきであろう。(従来の判例学説は、無条件的に占有回収訴権を認めているようであるが、この見解には、前説示のような理由から左袒しない。)

右の観点に立つて、本件の場合を考えてみることとする。既に認定した諸事実、当事者間に争ない事実、疏乙第一四号証(第三者の作成にかかるのでその成立を認める)同第一八号証の一ないし三五(成立に争がない)に、債権者本人の供述の一部(措信しない部分を除く)を綜合すれば、債務者は、本件土地の隣接地にも約一〇〇〇坪余の土地を所有し、自己所有の本件建物を取毀ち或は増築して同じく自己所有に係る本件土地を含めた該地上につりざを製造のための一貫工場を新設すべく、正当なる自己の所有権にもとづき既述のように債権者の占有を自己に移した。しかも、右移転に際しては強暴その他公序良俗に反する等の反社会的方法によつてなしたものでなく平穏無事裡になしている。(この点は債権者は単に異議を述べたと主張するのみで、その疏明はなく、債権者の明らかに争わないところなので、自白したものとなす)殊に、本件コンクリート製万年塀は本件一一三六番の五と一一三五番との境界線上に設けているものであるが、その設置については一一三五番の所有権者と話合の上、その承諾を得て構築している。そして、債権者は前記占有部分を債務者の行為によつて失つたからといつても、その占有部分は僅少であり、このため、債権者が現に占有使用している同所一一三五番の事務所及び居宅の出入口が全くふさがれ道路へ出入もできないというものではなく、さして大きな不利益は受けていない。これに反し、債務者においては、現在、本件占有部分を含め本件土地上に工場や建物の新設を完成しており、該占有部分を債権者に原状において返還するとすれば、債務者のその余の工場操業にも支障を来し莫大な損害を蒙る事情にある。本来、債権者は、前記占有には正当なる本権を有しないのであるから所有者がその権限にもとづき使用収益するというならば、むしろ、その不便を甘受しても、債務者の権利行使を妨害すべきではない筋合にあること等を一応認めることができ、他に右に反する疏明はない。

さすれば、前説示に照らして反覆して縷説するまでもなく、債務者の本件占有移転行為は未だ債権者の占有を侵奪したものというに値しないし、また、侵奪行為にあたるとしても、それにより占有回収の訴権を与える必要性は認められないものといわなければならない。

以上要するに、債権者には、本件の場合、被保全権利がないと一応認められることに帰着する。

よつて、その余の点につき、判断を加えるまでもなく、債権者の本件申請は理由ないこと明白であるから、これを却下すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のように判決する。

(裁判官 赤塔政夫)

別紙

物件目録

(一) 草加市瀬崎町字堤外一、一三六番の五

一、宅地 百六十坪一勺

(二) 同所一一三五番

家屋番号 同町一六八番の参

(イ)一、木造亜鉛葺平家建貯蔵所 一棟

建坪 四七坪

(ロ) 付属建物

一、木造瓦葺平家建貯蔵所 一棟

建坪 三四坪七合五勺

注 右宅地の所在番地と建物の所在番地と異なるも

右宅地上に右建物が存在するものである。

図〈省略〉

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